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松本卓也『斜め論 空間の病理学』(筑摩書房、2025年)

  • 5月7日
  • 読了時間: 4分

はじめに

これまで「心」について垂直方向で考えるのが一般的だったが、20世紀末から水平方向への転換が起きている。

この本では、なぜ、どのように生じたかを論じている。



目次

第一章 水平方向の精神病理学に向けてービンスワンガーについて

第二章 臨床の臨界期、政治の臨界期ー中井久夫について

第三章 「生き延び」の誕生ー上野千鶴子と信田さよ子

第四章 当事者研究の政治

第五章 「自治」する病院ーガタリ、ウリ、そしてラカン

第六章 ハイデガーを水平化するー『存在と時間』における「依存忘却」について

補論1 精神分析とオープンダイアローグ

補論2 依存症臨床の空間ー平準化に抗するために



第一章 水平方向の精神病理学に向けてービンスワンガーについて


・精神病理学者ルートウィヒ・ビンスワンガー(1881-1966)は統合失調症の発病状況を観察して空間的モチーフを提案した。

「ビンスワンガーによれば、私たちが生きる空間には、『父であるとはどういうことか?』『神の似姿である人間の理想像とは何か?」といった、自らを高みへと導くような問題提起とその自主的解決ないし決断を目指す垂直方向と、世界の各地を見て回り視野を広げていくような水平方向というふたつの方向があり、通常ではこのふたつが『人間学的均衡(anthropologische Proportion)』と呼ばれるほどよいバランスを保ちながら拡大・縮小を繰り返しているのだという。」(p.15)

・「思い上がり(Vestigenheit=奇矯な理想形成)」が強すぎる状態は均衡を欠き、墜落を運命づけられた飛翔となる。

・「病者は病前から世界のなかの事物のもとに安心して逗留することができておらず、」解決のために「命懸けの跳躍」を行う。

・『シュレーバー回想録ーある神経病者の手記』の事例

・「私たちは、このことを次のように解釈したい。/シュレーバーは、究極の『思い上がり』である神へと到達しようとする垂直方向の運動(および、一人の責任ある主体として再生するための禁治産宣告取消訴訟)のなかでは治癒に至ることはなかったが、むしろ垂直方向の運動を回避し、身近な他者が棲まう水平方向へとずれることによって治癒に至ったのではないか、と。」(p.20-21)

「ビンスワンガーが論じていたように、病者が妄想に支配されるということは、彼が棲まう空間が、自分と超越的他者(例えば、神)のあいだの垂直方向の関係で飽和し、そのなかで己の主体としての座が他者に奪われるということである。/反対に、治癒のプロセスは、垂直方向の関係の飽和によって等閑視されていた水平方向の関係、すなわち自分と身近な他者とのあいだの関係が新たにひらかれなおすことによって始まるのである。」(p.22)

・病例 イルゼ、アンナ

・ラカンの精神病論 シェーマIの図

病者は、〈父の名〉の排除とファルスの機能成立(ゼロからイチで引き受けるような全く新しい困難に向き合うスキル)の失敗を妄想によってやりすごしている。…これは治療放棄の研究だと批判あり。

だけど、この説においても、周囲の人との関係性によって病気とともに社会のなかで生きることもある。ジェームズ・ジョイスとか。

・精神病理学における垂直方向の特権化を指摘。ハイデガー、フーコー、ラカン。(特に、ハイデガー主義のこと。ハイデガーのテキスト自体は水平の読解も可能だと松本は考えている。)

「空虚な語り」 「充ちた語り」

・ドゥルーズは水平方向。『意味の論理学』における哲学者のイメージみっつ。1上昇、2下降、3表面。この3つめが鍵。

・「おそらくオープンダイアローグは、『内なる声』が超越的な権威として作用しないようにするために水平方向のダイアローグを用いている。垂直方向の声に耳を傾けることが、水平方向のダイアローグによって支えられた状況のなかで行われることによって、垂直方向を過剰に権威化させることなく、個人における変容を引き起こすことが可能になるのである。」(p.42)

患者が父親のことを話す。それぞれが父親と内なる垂直のダイアローグを持つ。

・オープンダイアローグが提示する主体(性)のモデルには、ガタリのいう「斜め横断性(transversalite)」に類似を見ることができる。(補論1を参照)







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