上野千鶴子『近代家族の成立と終焉 新版』(岩波書店、2020年)
- 2月8日
- 読了時間: 6分
上野を読むことにした理由
上野は、信田がたびたば引用し、家族と国家の共謀について考えるきっかけになった著者である。移民についての考え方に問題があってフェミニズムとして古いというイメージがあったし主張に飛躍がある印象もあったが、きちんと読んだことがなかったので貴重な機会だと思ったし、『近代家族の成立と終焉』だったら信田の本では前提とされている近代家族について学ぶことができそうだと考えた。
上野を読んで
信田が書いていることの言い換え、より一般的な言い方をいくつか得て、母娘問題というマニアックでスキャンダラスなテーマを、家族のかたちとケアの所在という誰もが当事者であるトピックのなかに位置付けることができた。
この書籍を「卑屈の倫理学」の大きなテーマに位置付けると、以下になる。
★家制度、結婚と権力。洗脳。語らせない仕組み。
・「暴力」とイシュー化、想起と語り、歴史解釈までのタイムスパン
・加害者ケアとは。加害者の語り。
・回復の技、力。被害者の語り。
・語らせない空間づくり、語れる空間づくり。部屋、壁、町のレベルまで。
*****目次とメモ*****
I 近代家族のゆらぎ
一 ファミリィ・アイデンティティのゆくえ
1 危機の言説
2 ファミリィ・アイデンティティ
3 伝統型から非伝統型へ
4 意識=伝統型・形態=非伝統型の家族
A単身赴任 B姑を施設に C子どもの山村留学 D中途障害の夫(※おそらく子どもがいて入退院の繰り返しなどで別居期間が長い。)あとは共働きで子どもも海外に留学させているような家族は、意識さえ伝統的であれば、経済力でわざわざ会いに行ったりする渡航費や滞在費をカバーできて一緒に過ごす時間を確保できる。
ケアの責任を部分的に引き受けない例、また経済力がカバーできること、そのあたりが「家族」に関わるキーの要素として浮かび上がる。
5 形態=伝統型・意識=非伝統型の家族
E妻とその弟と親が母系3世帯で同居 F家庭内離婚(性の関係がないから同居だけは続けられる。でも一方で危害を加えられないという信頼もあるね) Gフィリピンの里子へ送金 H離婚したのに舅と同居(家事は自己負担させることで心理的信頼関係を築いた特別な例) I 確信犯的事実婚(上野の「確信犯」や「絆ピューリタン」の表現には疑問だが、事実婚については法さえ認めれば伝統的な形態。) J二人目の妻とその子(「中途半端な新しさ」に甘える夫) K再婚で双方子連れ
6 意識・形態=非伝統型の家族
LM同性友人同居 スナックの例 N同性パートナー O同好会カップル PQペットや死者
7 新しい家族幻想
自発的で選択的な関係ー結成も解消も可能な関係ーを、人は「家族」とは呼ばないということ、したがってある選択的な関係が「家族のような」という比喩で呼ばれる時には、その関係の基盤を選択的なものから絶対的なものに置き換えたいという動機が働いているということである。FIは非選択的な関係から選択的な関係へと移行してきたが、同時にそれへの反動から、より強固な非選択性を虚構するという方向にも向かった。宗教やオカルトが力を発揮するのはこういう時である。(p.43)
1989年に女子小学生が「前世」について強い関心を寄せて亡くなった事件があったようだが、「前世」への関心やその流行が家族とは別の絶対性を欲していることにはならないのでは?「前世」は現家族が持っている絶対性を相対化するのには有力だけど、この点には少し飛躍がある。

二 家族の臨界ーケアの分配公正をめぐって
1 「ファミリィ・アイデンティティ」研究における家族の臨界
家族の境界 / 親密圏への疑問
親密権という言葉を家族と置き換えて使うことには疑問。1言い換えただけ、2「『親密権』を採用することで、公私の領域分離を維持・再生産し、『プライバシー』の語源である『公の不介入原則』を指示してしまう」、3親密であることは定義しずらい、4大人同士なら選んで親密になっているけど子どもや高齢者のように親密でない他者だとしても依存しなければならない存在もいる。
2 平等主義家族論批判
ファインマンの家族論 / 性の絆よりケアの絆 / 依存の私事化
ファインマン「一次的依存」「二次的依存」
3 プライバシーの再定義
「プライバシーが市民社会の外部にある指摘領域であり、公的権力の介入からの『砦』になるばかりでなく、市民社会のルールが適用されない『無法地帯』でもある」p.60
「フェミニストが私的領域における暴力や虐待を問題化するにつれて、公的権力が私的領域に介入することを正当化する法理がつぎつぎに整備されてきた。」p.61
近代市民社会の法は、「自己決定できる個人」「責任能力のある個人」を「法的主体」として措定しているので、そうではない「依存的な他者」つまり「『法的主体』たりえない存在に対しては、市民社会の法は、限界と無力を露呈する。そしてそのような『依存的な他者』を、市民社会はその『外部』に配置し、その領域を『家族』と呼んできたのだ。この『依存』をめぐる問題が解かれない限り、個人主義的な家族論がいかに家族を個人に還元しつづけようとも、『家族』はくりかえしゾンビのように甦ることになる。」p.62
4 再生産の制度としての「家族」の意義
5 人権としてのケアーケアの権利の4象限
再生産費用の分配問題 / ケアの権利=義務関係 / ケアの絆としての家族
ケアする権利、ケアされる権利、ケアされることを強制されない権利、ケアすることを強制されない権利
裏付けられていなければ権利とはいえない。
ケアするしない権利とケアされるされない権利のなかで、ケアしない権利がないと思っている母が娘に対してケアされない権利を認めないという言い方で表せるようになった!
三 家族、積みすぎた方舟
1 フェミニズム法理論の意義
『家族、積みすぎた方舟ーーポスト平等主義のフェミニズム理論』著者マーサ・ファインマン
2 積みすぎた方舟ー「近代家族」の宿命
「性的家族とは伝統的家族、すなわち核家族のことであり、正式に認められた異性愛による夫婦の絆を核とした単位である」(ファインマン、2003,153)
3 平等主義法理論の罠
4 平等主義家族の幻想
5 アメリカ家族の現状
「平等主義的な法の形式的な双務性は、いちじるしくバランスを欠いた現実の片務性をおおいかくすはたらきをする。」p.93
6 日本のシングルマザー
養育費の支払い義務も、公的援助も、シングルマザーが再婚すれば打ち切られる。
7 父性の復権?
8 法的カテゴリーとしての婚姻の廃止
「養育家族単位 nurturing family unit」の提案。
9 「ケアの絆」
10 福祉アンダークラスとしてのシングルマザー
シングルマザーはいま懲罰的な扱い。そうではなく、女がひとりでも安心して子どもを産み育てることができる社会を!
四 女性の変貌と家族
1 産業構造転換期の女性の変貌
「女性の職場進出」の実態 / 産業構造の転換
2 女性のライフコース・パタンの多様化
中断 - 再就労型の増加 / ライフコースの選択と経済要因 / 中断 - 再就労型の性規範・夫婦觀
3 女性層の分解と動向
専業主婦志向の高まり / 雇用機会均等法の影響 / 女性のネットワーキング活動
4 家族の分解と生活文化の多様化
***** 読んだのはここまで *****
II 近代と女性
一 日本型近代家族の成立
付論 「家父長制」の概念をめぐって
二 家族の近代
三 女性史と近代
III 家庭学の展開
一 「梅棹家庭学」の展開
二 技術革新と家事労働
IV 高度成長と家族
一 「母」の戦後史
付論 戦後批評の正嫡 江藤淳
二 「ポスト思秋期」の妻たち
V 性差別の逆説
一 夫婦別姓の罠
二 生きられた経験としての老後
三 「女縁」の可能性
四 性差別の逆説ー異文化適応と性差
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