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信田さよ子『家族と国家は共謀するーーサバイバルからレジスタンスへ』(角川新書、2021年)

  • 朝田沖陽 / Asada Okiyo
  • 1月2日
  • 読了時間: 30分

まえがき

ポストフォーディズムとしての母。現代の母親の役割を遡るとポストフォーディズムがある。「母親の(支配の)行為をもっともよく理解できるのがポストフォーディズムという視点」(p.8)。「ポストフォーディズムでは、即応性が高く、即興的判断ができ、状況や空気を読んで距離を自在につくることが求められる。これは、家族において長年母親が遂行してきた役割・態度そのものではないだろうか。家族関係をつなぎ留め、子どもの成長や教育の責任を一手に引き受け、近所の人間関係や学校の保護者会でも適応を図る。[…]多くの企業や地方自治体の窓口対応は、ソフトな語り口によって選択可能性を提示し、それを選んだのはあなたであり責任はあなたにあります、という論理に貫かれている。家族における母親の支配・管理と、社会全体に瀰漫(びまん)するソフトな自己責任追及の空気は似ていないだろうか。」(p.13)母の典型的な発言。「あなたのために」「あの塾がいいって言ったのは自分でしょ?」これがポストフォーディズム社会の態度に似ている、と信田は指摘する。


*母のポストフォーディズムは柔軟性とか臨機応変とかより頑張る方向と頑張りかたはあるていど決まっていて、どれくらい頑張るかしか委ねられていない感じがする。ポストフォーディズム的な冷たさとはここにあるのではないか。つまり家父長制にポストフォーディズムが足されているだけ。

*ポストフォーディズムと言うからには、この母親の傾向は先進国ぜんぶに当てはまるのか。紹介する用語や映画とそのあとの考察を照らし合わせると、信田は論拠とその適用範囲の整合性にそこまで気を遣って議論していないのでは?国ごとの特徴を踏まえず、海外の映画やポストフォーディズムといった言葉を用いているのではないか。



1.1

問題は娘だけじゃない。母娘問題はすごく話題になったけど、息子にも同じ問題はある。でも日本では特に息子のほうの問題提起は少ない印象。母と息子の関係について「阿闍世(あじゃせ)コンプレックス」という言葉を紹介している。息子は、母親のことを悪く言うことに躊躇いがある。自分よりも弱い存在であるべき母親のことを、加害者(そして自分が被害者)だととらえることは難しい。

「根深い女性蔑視(差別)と母親批判へのためらいはつながっている。このことが、日本映画に登場する母親像、ひいては女性像の描写の深まりを妨げていると思われる。世界に冠たるロリコン的少女礼賛映画(およびアニメ)の量産は、母になった女性たちの恐ろしさや支配性を正面切って見据えることのできないことと表裏一体だとすれば、母親を批判できないことが日本文化に深い影響を与えているのかもしれない。」(p. 35)つまり、母親を批判できず、よって女性の恐ろしさを直視できず、よってロリコン像を量産することになる。ロリコンは安心する女性像である。(*自信がある男性は許容できる「恐さ」が少し多い気がする。自信がないと、メイクもヒールも直視できない。)ちなみに、鶴見俊輔が母親批判をできるのは珍しい例。


*どうして息子の問題提起は少ないのか。

*息子にも同じ問題があるとしたら、娘との違いはどこか。

*どうして、「西欧では結婚によって母親とは切断される」のか。

*「家政学」という言葉を連想した。

*血縁の母娘問題と、嫁姑問題は同質か。同質という線で下の図を考えてみた。







1.2

世間では暴力とされていないことが、実は暴力だったのだ、社会は誤解しているんだ、と被害者が気づくとき、いままで良いと思ったことがだめなことになったりして世界がひっくりかえるので、知らなければもっと楽だったのにと思う。どうしたら、知ってよかったと思ってもらえるだろうか。カウンセラーは体に触らないけど、身体や心の暴力を扱うようになったので精神科医と連携して体のことも無関係じゃなくなった。内面じゃなくて暴力が起きる加害と被害の関係性を扱うのが信田スタイル。内的な心の問題とされてきたものを、再び現実の関係の舞台に上らせることを関係還元的、と呼んで、有効な援助だと思っている。暴力だとされないことを暴力だと名づけるのは、それまで自分が悪いと思って我慢してきた人たち。暴力だと定義することでちゃんと被害者になって、安全を確保するほうへ進める。「DV、児童虐待、高齢者虐待などという言葉は、そう呼ばなければ安全という基本的人権が守られないと判断した人たち、およびその援助者たちの必要性によってつくられ、それによって暴力は構築されたのだ。暴力と名づけ、定義することで、それまで『自分が悪いからだ』と耐えて、ひたすら我慢してきた人たちが、初めて自分を『被害者』と同定し、暴力を行使する人を『加害者』と呼ぶことができるようになったのである。」(p.48)

2000児童虐待防止法

2001 DV防止法

家族の中にも暴力があると法律で認められた。つまり被害者の視点に立って家族のなかに加害者がいるということが認められたわけだが、犯罪化はできておらず、中途半端な介入。

「加害・被害の硬直した二極対立」をあおらないように被害者支援のなかで権力を持つこともあるという動的な政治性にアンテナを持とう。

また、被害者支援の前提となる正義が、子どもの場合は広く受け入れられるのだが、被害者が妻となると、家族=愛情共同体(既存の家族内権力に無批判)という考え方の人々を味方につけにくい。(p.50)

家族は構成員が対等でないにもかかわらず体の触れ合いがオーケーとされていて、しかも無防備である。身体接触において愛情と暴力の区別は曖昧になりやすいし、とくに性交渉は愛情と暴力の境界を曖昧にすることでしか成立しない。

性的虐待が何十年も経って自覚され訴えられるとき、「記憶」が問題になる。フラッシュバック。急に思い出す。

1990年代アメリカ 過誤記憶論争

性被害の記憶が出てきたあと、そのときの残酷さを4種類で感じる。絶対的孤独、被害の非文脈性、罪悪感、自己不信。それらを抱えてサバイバルするときの3段階。身体と自己の切り離し、自分に対する暴力、自分と身体の統合。「このような性虐待に伴う苦痛・苦悩の中を、被害者たちはそれでも生きていく。生半可なプロセスではなく、まさにサバイバルというに値する。それには多くの技が必要だ。スキルと呼ぶにはあまりに不器用でリスクが高く、私は技と呼びたい。被害経験を想起したとたんに始まるサバイバルは、意図的・意識的行為ではなく、一人の人間として統合された自己を実現するため、全存在を総動員して実現される営みである。」(p.67)

やるべきことは加害者性の構築。加害者がすっかり忘れて軽視していることが実際は重大だと自覚させること。もうひとつは、ロマンティックラブイデオロギーにとらわれない、さまざまな形の家族が実践されることで、父母子というトライアドから成る近代家族におきる権力と暴力を防いでいく。


*カウンセラーは体には触らない、とあるが、カウンセラーの距離の取り方にルールはあるのか。カウンセリングルームのレイアウトなど定番はあるのだろうか。

*やっぱり暴力だとされていなかった時代の実感がないので、現実の関係性の問題なのに内面の問題とされていた、ということ自体がよくわからない。関係還元的、ということをちゃんと理解していないかもしれない。具体的に、DVの法律化のことだと思えばいいかな。

*べてるの家が幻聴さんも含めてSSTをやっていることを思い起こすと、「関係還元的」とはべてるの家で言うところの「外在化」と同じことではないか。これは現実において登場人物が当事者以外にいて、なにか起こりうるということ、物語の展開可能性があるということではないか。

*p.48の引用にあるように、暴力を暴力だと言い当てるのは、被害者が安全を確保するためであるのなら、それはまず声が小さいひとが「イシュー化できる」というところにポイントがある。暴力がどんなものだったのか、なにが起きたのか、その判断は歴史解釈の実践としてそのあとに必要なことになる(被害者が暴力だと言い当てた瞬間に全部責任が問われて断罪されるわけではない)。問題が起きています、と、誰も振り返らない過去の一点について、解釈すべきことがありますよと呼びかけること。

*愛情共同体という言葉は他の人も使っている表現か。愛情とはどういう意味か。愛情という言葉が、自分で選べる個人主義のひとと自分で選べない立場の人とで意味が真逆だと思う。自由な意思を意味するか、意思よりも強い結びつきを意味するか。だから妻は被害者になりにくいのではないか。映画『ドマーニ』でも、DV夫が妻に「お前のことを愛している」と言うとき、夫は一緒にいることを積極的に選んでいるというアピールになるが、妻にとっては一緒にいる以外のことを選んではいけないということになる。

*1990アメリカの性被害の過誤記憶論争と、フランスで言われた被植民地の記憶の過剰さの論争を同質のものとして考えていいか。

*スキルと呼ばない、不器用な「技」という言葉は、一般にはびこる能力主義とはどのように違う概念か。

*どうやって加害者に、軽視していることの深刻さを自覚させられるのか。




1.3 DV支援と虐待支援のハレーション

自民党 家族の日

厚労省 児童虐待

内閣府 DV

日本でも他の国でも児童虐待とDVの対応のあいだには溝がある。でも実際は渾然一体。

また、子どもへの暴力は絶対悪として世間にも受け入れられ、報道でも強調されるが、妻への暴力は、被害者であるはずの妻を問題視する視点が根強くある。成人だし対等のはずだし、合意して結婚したわけだし逃げることもできたはずだし…。とりわけ、「あそこまで殴られるには、妻にも悪いところがあるのだろう。」とされる。(*コンシャスロウアー。バトラーによる白人警官の話に通じる。)「虐待に比べると、DVは妻の責任をめぐる複雑な説明や理論化を経なければ、彼女たちを声高に被害者と断定することは難しい。」(p.89) 被害者は無垢で善で免責されるんだという被害者像は妻に適用されない。被害者=善というイコールを外して、別の被害者像を主張しなければいけない。(このあと、レジスタンスする被害者像につながる)「建前上の男女平等原則を踏まえた人ほど」夫婦は対等なはずだから夫婦間で解決すべき問題だと考えがち。(p.92)


*被害者側の非、バトラーの話と同質だと考えていいのか。

*どうして被害者側の非を考えたくなるのか。暴力を受け入れたくないのか、加害者になるかもしれないから保身したいのか。被害者に自分を当てはめてどう防げたか考えたいのか。実際は加害者が100パーセント悪い。何が起きたか解釈するのは被害者しかやっちゃだめ。(被害者ケアのなかに罪悪感を和らげることも指摘されている。)

*暴力が起きたと判明したとき、その瞬間に被害者は存在するけど、加害者は存在するのだろうか。責任の範囲を丁寧に検討するべきだということを考えると、加害者という言葉が誰かに全ての責任を課して袋叩きにしたり、そうやって判断を下して解決したことにしてしまう負のインパクトがあるのではないか。「加害関与者」とか「暴力当事者」とかいった言葉で、加害者ではあるけどディスクリプションを尽くして反省点を検討している途中のステータスなんだということを示せないだろうか。同時に、その検討の時間を十分に避けるのか、私たちは待てるのか(兵庫県の斉藤県知事の件)。またその検討を中立的に担うことができるのは誰なのだろうか。その人にみんなを待たせるほどの権力があるだろうか。



1.4 

世界ではベトナム戦争後にPTSDという診断名が1980のDSM IIIに載った。日本の援助の世界に司法のモデルが入ってきたのは1995以降。それ以前は内的な問題のみを扱っていたために家庭内な暴力が認められることも難しかった。トラウマという言葉が震災やオウムの一件で広まった。信田は加害・被害という判断枠組みを司法モデル、フォレンジックモデルと呼んでいる。これは被害者支援のパラダイムで、被害者に責任はなく加害者が100%悪いということがそもそも前提。abused women's group AGでは曖昧な言い方で不安にさせず3ヶ月以内に集中できるように明快に言うこと、命令や指示をして当事者が依存してこないように判断は本人にゆだねること、希望があることを伝えること、「加害者意識」を払拭すること、この四つが大事。

DV加害者プログラムでは、罰でもなく、「治療」といった医療モデルでもなく、暴力を選択していたのだという「選択理論」に基づき、責任意識を召喚する(ジェンキンズによるもの。脱ドゥルースモデルのナラティブセラピーの影響を受けている)。https://psychologist.x0.com/terms/581.html)彼らが変化できるように、それを妨げているものに注目するという、「トリートメント」である。ちなみにカナダ、アメリカ、韓国ではDVは非親告罪で、定義があって、プログラムへの参加を裁判所が強制できる。

2000年制定の児童虐待防止法に、2004年に付け加えられたのが、子どもの面前でのDVは子どもに対する心理的虐待になるというもの。面前DVは、①DVと虐待を結びつけ、②次世代への悪影響を強調した。


*加害者が罰や治療が必要なことはないのか。

*カナダ、アメリカ、韓国では、DVが定義されているとのことだが、どのように定義されることで非親告罪になるのか。

*どうして日本では非親告罪にならないのか。どんな政治家がこれについて動いているのか。



1.5

心理職について。

1998年民間資格としての臨床心理士の資格が誕生。その資格を大学院で教える先生のほとんどは精神分析が基礎。

もうひとつの潮流、家族療法の脱因果論。

・1950年代から欧米で盛ん

・児童精神科医ミニューチンをはじめとする、システム論的・構造派家族療法が大きな影響をもたらして、アディクションの問題において援助方法が確立されていった

・日本では、1980年代初めに精神科医・斎藤学さとるが、アディクションの家族をシステム論的に把握して、アルコール依存症の夫に対する妻の態度の方針や専門家の役割の方向性を示した


家族療法の特徴は、脱因果論、そして循環論。80年代に日本で爆発的人気。一見唐突な行動処方を施すシステム論的家族療法は脱因果論の考え方なので、子育ての責任を母親を責める考え方からの脱却になる。母親は責められることで、一層子どもへのプレッシャーをかけてしまい、状況が悪化していく。

1995年スクールカウンセラー導入。(1994愛知いじめ自殺) 閉じられた学校に唯一の外部。すると、それまでの精神分析の手法ではなく現場での調整役をやることになった。また同年阪神淡路による「トラウマ」という言葉が広まったり、北京女性会議においてDVという言葉が日本に紹介されたりした。そして、このDVという言葉によって、アルコール依存症者の妻たちが経験していることが暴力だということが明確になり、臨床心理学が「暴力」や「加害/被害」を扱うことになった。


*現場での調整役、とあるが、カウンセリングに来るひとを待つかたちから、学校に駐在するようになることでどんな変化がもたらされたのか。



1.6

親の死に良かったねと言えること、カウンセラーに必要なスキルは、常識とされる規範的な物語にとらわれず、物語の範型(フォーマット)を豊かに持ってクライアントの語りを聴き取って「文脈化」すること。「文脈化とは、あたかも作家が物語を創作することに似ている。語られたプロットのリアリティを損なわず、どのように断片をつなげていくか、つなげるにあたって何を接着剤として用い、類似の先行する物語をどのように検索するか……。」p122

あの子がこうなったのはなぜと親が自問するとき、子どもをむりやり入院させたりするよりも、親のカウンセリングに集中するほうがいい。まず両親がチームになる必要がある。問題が解決してから辛かった頃を振り返るときに原因が思い浮かんだりする。「『原因』といわれるものは、事後的にその出来事が希望どおりに変化した時点から振り返って構築するものなのだ。」

親に働きかけることでコミュニケーションを変えて家族関係の構造改革を図るのが信田のアプローチ。「心理学から政治学へのパラダイム転換」p138。具体的にはまずおはよう、ただいま。次に妻が「私は」と一人称で話す心がけをする。こうして距離を作って独立した個人だということを明らかにする。同床異夢の家族は、型から入る必要がある。(*これは儀式的であるということ)


*形式的コミュニケーションは、対話型鑑賞のルールと通じるか?心理的安心の確保を信頼感とかではなく形式で目指す。司法もそうだよね、合意書などは逸脱を禁じる。形式的コミュニケーションが可能にする精神や思考の自由があるのではないか。

*カウンセリングのスキルは、ライティング指導や探究学習の指導のスキルと似ているのではないか。断片的な語りの奥にある思考の一貫性や傾向や土台のようなものを聞き取り、投げかける作業。



2.1

カタストロフのあとのPTSD。不幸の比較、「下方比較」には要注意。

例として3.11を大きく取り上げ、カタストロフ後の反応を記録するようにして、PTSDの発現と下方比較について紹介する章。

①3.11直後 ②3ヶ月後

日本では阪神淡路大震災のときにトラウマという言葉が広まった。①再体験(侵入的想起)②麻痺・回避③過覚醒の3つの症状があると診断される。PTSDという診断名は、1980年アメリカ精神医学会によるDSM3(精神障害の診断と統計の手引き第三版)においてである。1975年に終わったベトナム戦争の帰還兵への戦後補償の一環として作られた側面がある。それと並行してジュディス・L・ハーマンらは第二波フェミニズムと連動して、家族における暴力についてのPTSDを認めさせようとした。「このようにPTSDは、出発点から政治的な色彩を帯びることとなった。国家と家族という、二極における暴力被害の認定の切り札としての診断名となったのだ。」(p146) 


震災直後、元気になるひと、具合悪くなったひと、変わらなかった(それどころじゃなかったひと)がいる。


PTSDは、ひどいできごとに意味づけしようとする段階で出てくるので、直後ではなく3ヶ月後が目安。

自分より不幸な状況をみつけて優越感を感じるのは、活力になることもあるけど、差別意識だから要注意。特に、自分の辛い状況を我慢して抑えこむことなったり、あるいはそれを他者に向けて我慢しろ黙れと責める方になったらだめ。


(*菅直人の例は削除するべきだっただろう。)


2.2

映画『息子のまなざし』…修復的司法を描いた映画。

ハーマンは『心的外傷と回復』で、心的外傷からの回復を3段階に分けていて、援助者のあいだで常識として共有している。

1 安全の確立

2 想起と服喪追悼

3 通常生活との再結合


ここでは2に注目する。「第二段階の想起のもたらす困難さとは、自らの受けた被害・苦しみに「意味」を与える信念体系を再建しなければならないことからもたらされる。」(p.172)「想起とはそれを語ることと同義」(p.170)。つまり想起とは文脈化して経験を再構成すること。このことは『ナラティヴの臨床心理学』を参照のこと(旅の報告という形式と重なるかも)。そして語るうちに辿り着くのは「なぜ?」。(*想起とフラッシュバックは違う。ダルク女性ハウスの、過去の出来事を説明するときに仲間と手を繋いで、線を引いて向こう側に当時の場面を見ようとすることを思い出した。外在化と比較検討としての演劇のありかたが自分の着想源かもしれない。つまり関心を寄せている「演劇」とは、すでに没入していることについて語りを引き出すための外在化の装置なのではないか。)


cf 悟性という用語


刑罰は国家による意味付け。しかし、どうして私だったのかという疑問には、加害者自身が回答を与える。これを説明責任(アカウンタビリティ)という。

eg 佐世保の御手洗さんの手記を引用し、加害者だった女児が自分のしたことを自覚するためのケアが必要だったことを指摘。



2.3

1995 国連世界女性会議にて女性への暴力根絶の行動要領が採択された。日本から草の根のアクティビストも参加し、帰国後DVという言葉を現場な伝えた。

暴力を司法的に認めることは、それを犯罪、悪だと認めることである。「正義」という絶対的視点は、心理学や精神医学にはなかった。

アディクション支援のひとたちは、依存症の夫を支えるはずの妻への暴力について最初に関心を示した。


メモ 1970末、家庭内暴力とは子から親への暴力を指していた。

メモ バタードウーマン


もうひとつの立場はフェミニズムの支援と運動で、彼らも女への暴力について1990年代にはアディクション支援とも連携した。

第二派フェミニズム、日本では1980年代に影響が顕著になった。

河野貴代美 フェミニストカウンセリング

上野千鶴子 女性学

これらは男性から女性への「構造的暴力」、非対称的な力の構造に光を当てた。


メンズリブ・男性学の動き

関西

渡辺恒夫 脱男性の時代 1986

伊藤公雄 男性学入門 1996

中村正 「男らしさ」からの自由 1996

カナダ ホワイトリボン運動 1991

ジャーナリスト中村正彰 メンズリブ研究会 1991、男性のための非暴力ワークショップ、多くの論考


加害者ケアのうごき

1997~ 草柳和之

1999『ドメスティック・バイオレンス』出版。「加害者臨床」という言葉を提案。

2001 DV防止法成立

2002 山口のり子が「アウェア」を立ち上げて、DV加害者プログラム開始。カリフォルニア州に準拠。カウンセリングや治療と言わずに、被害者による加害者教育を謳っているという特徴。

正義という司法(フォレンジック)モデルが入ると、臨床心理学ではこれまで援助者・治療者の中立性という前提を変える必要が出てくるが、これまで3種類の態度に分かれる。①暴力は犯罪②暴力の被害を病理化・心理学化して従来の専門性に取り込む③暴力は扱わない


①の立場で被害者支援をしてきたフェミニストたちは、加害者プログラムは否定してきた。しかし信田としては、被害者の避難だけ支援していると加害者放置、家族解体を進めることになる。加害者ケアをすることである程度再発防止し、被害者の安心感を作ることができると考えている。加害者は司法に任せればいい、でいいのか?(*家族のありかたに、これまでとは別の可能性があると考えているということかな?家父長制だめ=家族のような親密な支え合いの関係の可能性自体を持たない、ということにはならない、ということかな)


加害者プログラムの方法と態度

ファイルが配布され、宿題を提出する。

円形で放射状に座って順番に話すのが大事。視線はファシリテーターへ、参加者同士の交流は促進しない。参加者のなかにはレベルの違いがあるから、それをどう生かしていくか、それからあくまで被害者支援の一環として責任を果たしていくためのグループだから普通の集団療法じゃないのだということ、この目的も意識する。パートナーである被害者もその場にいると思うように参加者にも自覚させる。

そして、幼少期の経験などの原因探しをする原因論ではなく、何を変えられるのか、変化を妨げているのはなにかを明確にして、彼らの認知(belief)と行動に焦点を当てる。

「彼らの暴力は否定するが人格は尊重する」という姿勢で努力を肯定する。処罰的態度を強めてプログラムからドロップアウトさせては本末転倒。信田のプログラムでは1%以下でおさえられている。

(*暴力になると外在化はより難しそう)


被害者の病理化。

レジリエンスという言葉がトラウマからの回復力という意味から一般社会でのメンタルヘルスの維持を指す意味に広がった。日本では、阪神淡路大震災でトラウマという言葉が広まり、それに応えるようにレジリエンスという言葉が定着した。経験が深刻でもさほど被害が少ないケースがあって、それはなぜかを考えれば治療に応用できると期待した。しかし、これはトラウマを受けた兵士が再び戦場に戻れるための言葉として活用される危険性もある。本来は「相互作用」を前提としているのに。(*相互作用についてもう少し知りたい。「先述したように、この言葉は相互作用を前提としている」(p.199)とあるが「先述」はなさそう…。p.200のほうに、もう一度この言葉が出てくる。「環境との相互作用による子どもの発達という視点から虐待の影響を考える場合には、もっと重層的な環境要因を丁寧に論じ…」(p.200))


被害者=レジスタンスしているひと

無垢で弱いわけではなく、日々いろいろなかたちでレジスタンスしていると捉え直す必要がある。レジスタンスはよくその人の問題として見えてしまうことがある。


(*p.200 カナダで活用されているプログラムの翻訳を再検討したい。https://www.calgarywomensshelter.com/images/pdf/cwesResistancebookletfinalweb.pdf)



2.4. レジリエンスからレジスタンスへ

かつて臨床心理士は内的世界を対象とし、現実に生起している諸問題に距離を取り中立性を疑わなかった。職人と自認して茶人みたいだった。信田は異端だった。いまや、公認心理士という国家資格になったけど、より公的な意図を汲み取らなければいけなくなるかもしれない。薬の処方もできない心理士はいったいなんなのか、アイデンティティクライシスもある。中立性を守っているつもりだと、結果的にマジョリティ、権力の側についてしまい、被害者の側には立てない。DVを扱うときそれは致命的。この問題について歴史的に考えてみる。

心理学は戦争で発砲させるために発達した。W W1の発砲率とベトナム戦争の発砲率は雲泥の差。逆に攻撃される側の学問は精神医学が担ってきた。つまり精神医学が病気の人間を対象にし、心理学は健康な人間の心を扱ってきた。しかし統合失調症が減ってきて、精神医学は認知症をターゲットに加えることで病院経営の維持を図るようになったので、健康な(比較的軽度な症状の)心についても扱うようになった。すべてが医療の経済的ターゲットになっていくことに要警戒。

1980のDSMIIIは、原因ではなく症状のみを見て診断するという方針が前面化したものだが、それと矛盾するPTSDという病気が足されたという事実もある。ベトナム戦争を原因とするなんらかの不調を対象とするために加えられた、政治的な判断で、これだけ原因ありきの病名。1970年代はDVや虐待、性暴力が激増した時代でもある。精神科医でフェミニストのハーマンが複雑性PTSDという診断名も加えてもらえるように要求したが叶わなかった。国は、戦争の暴力は被害として認めたのに、その後の帰還兵による家庭内暴力については認めなかったということだ。

トラウマという言葉、日本でも広まっているが、この言葉によって、どれほど多くの経験が「被害」として認知されるようになったか、その役割は大きい。(*「社会」という加害者を想定するしかないような被害もあるかもしれない。学歴社会という価値観などの社会規範を強く内面化して自分を傷つけるくらい頑張ってしまうとか。)

『戦争とトラウマ』中村江里、吉川弘文館、2018

戦争経験が個人の精神に与えた影響を紹介しつつ、そのカルテを処分するよう国から指示があったことに触れている。

ワンポイントメモ、ウィークネス・フォビア


トラウマという言葉は汎用性が高く、被害として認定される役割があって重要すぎて、客観性が弱くなってポピュリズムの波に呑まれつつある気がする、と信田は書いている。

裕子メモ、傷を認めるスキル。人文的なスキルも含まれそう。


・三重の否認にさらされた性虐待

加害者、母親、専門家。

「性虐待加害者である父こそが「あってはならない」行為をしているのに、被害者が「存在しない」とされる。」p219 これは、国の命令で出征して中国の農民を殺した日本兵が、そのあと病むとその存在を隠されたのと似ている、と信田は指摘する。後者は日本軍の神話(ヘイタイサンの強さ)を崩壊させないため。前者は家族イデオロギー(父親の正しさ)を崩壊させないため。

国家と家族の根幹をなすイデオロギーの維持のために、戦争神経症と性虐待被害はないものにされてきた。

cfここで上野千鶴子『生き延びるための思想』引用

家族は、他者や司法という国家権力が入らない聖域なのではなく、むしろ明確に国家の意思が働く政治的世界なのではないか。


・被害の奇妙な言動も抵抗(レジスタンス)なのだ

トラウマ治療法いろいろ:PE(暴露療法)は保険適用される、EMDR(眼球運動)は保険なし、TICは子ども向けに広まる、

近年注目がレジリエンスへのアプローチ。「被害に対する強さ・しなやかさ」。どのように働きかければ、その人のレジリエンスを高められるか。

同じことをレジスタンスというときもある。(たとえば誰が言ってるの?)


逃げられたはず、といったコメントに対して、トラウマという言葉が被害者に責任がないこと、イノセンスさを強調する。それが被害者が無力だということまで意味してしまう。治療のなかで、レジリエンスがはたらいたからこそ症状が生まれているんだととらえる。レジスタンスと言うと無力なイメージを覆せる。


トラウマ症状をレジスタンスだととらえる意味とは?非人間的に扱われたことに対して、人間としてそれを認識し、対処し、抵抗して昨日と同じ日常を生きるか、他の人と同じ人間として生きるか。これがレジスタンス。能力ではない。(*意志のあるレジスタンスだけでなく、トラウマ症状といった意図的でないものもレジスタンスだと捉えるのはなぜか。信田がとらえようとしているレジスタンスとは、被害の事実を証しする色々な表出・表現を指している。トラウマ症状は、なにかしら深い傷を受ける出来事があったのだという揺るがない事実を示しているから、加害者へのレジスタンスだと言える。)


トラウマ症状、健忘、解離、過覚醒、過緊張、侵入的想起とそれを避けるための酒やギャンブル、セックス。

cf.バトラーの唱えた「エイジェンシー(言説行為を通して事後的に構築される主体。言語と主体をつなぐ行為媒体ともいう)」。


レジスタンス、バウンダリー、支配・被支配のような、政治的な言語を使わずに、家族というものを理解するのは困難ではないか。


・レジスタンスの対極は抑圧委譲

敵との戦いで死んだのではない、飢えや暑さ、いじめによる兵士の死があったこと。「戦死」とくくらずに、「日本軍内部の支配構造が生み出した死者ともいえるのではないか。」

「抑圧委譲」は丸山眞男の言葉。



2.5. 心に砦を築きなおす

カウンセリングにおいて、従来の用語では足りない。ほかの分野から借りてくる。「フロイトが内的世界を力動的概念で把握しようとしたように、家族療法(中でもシステム論的家族療法)は、現実の家族における関係を政治的言語で把握しようとしたのである。」229


肯定・否定の話

否定の世代から村上春樹的な肯定の時代へ。

しかし自己肯定感という言葉は、自分で自分をの機嫌を取ること、自分で全部責任を取るという新自由主義的自己そのもの。


いまだに臨床心理学は暴力そのものを対象にすることを避けている。加害・被害は司法のことだと切り分けていいのだろうか?しかし暴力は政治である。そして家族内の暴力が暴力だと認められたのは、家族のなかに権力があること、そしてそこで発生した暴力の加害者は断罪されるべきことがはっきりして、革命的だった。


・被害を認知することは服従ではなく抵抗だ


・レジスタンスと被害者権力

やや唐突に「正義」の話。

被害者が被害を受けたことに自信を持てるように、「心の砦」を築けるように、そこには正義がある。しかし被害者が全部正しいとかジャッジすることが正義だと勘違いしてはならない。被害者支援が正義だと勘違いすることがあるけど、むしろ被害者の回復とは被害者であることから脱する方向へ向かうことだからだ。大きな方向として脱するべきなんだけど、そのプロセスにまず被害者として自信を持つステップがあって、そのときだけ正義が要る。



あとがき

DVや虐待について、ブレークスルーできたのは国家と家族の相似関係の構造を知ったから。女性学や社会学の言説を駆使して初めて家族の暴力の構造がわかった。


この本は10年ほどのあいだに書き溜めたものをベースに書き下ろした。


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メモまとめ

*母のポストフォーディズムは柔軟性とか臨機応変とかより頑張る方向と頑張りかたはあるていど決まっていて、どれくらい頑張るかしか委ねられていない感じがする。ポストフォーディズム的な冷たさとはここにあるのではないか。つまり家父長制にポストフォーディズムが足されているだけ。

*ポストフォーディズムと言うからには、この母親の傾向は先進国ぜんぶに当てはまるのか。紹介する用語や映画とそのあとの考察を照らし合わせると、信田は論拠とその適用範囲の整合性にそこまで気を遣って議論していないのでは?国ごとの特徴を踏まえず、海外の映画やポストフォーディズムといった言葉を用いているのではないか。

*どうして息子の問題提起は少ないのか。

息子にも同じ問題があるとしたら、娘との違いはどこか。

*どうして、「西欧では結婚によって母親とは切断される」のか。

*「家政学」という言葉を連想した。

*血縁の母娘問題と、嫁姑問題は同質か。同質という線で下の図を考えてみた。

*カウンセラーは体には触らない、とあるが、カウンセラーの距離の取り方にルールはあるのか。カウンセリングルームのレイアウトなど定番はあるのだろうか。

やっぱり暴力だとされていなかった時代の実感がないので、現実の関係性の問題なのに内面の問題とされていた、ということ自体がよくわからない。関係還元的、ということをちゃんと理解していないかもしれない。具体的に、DVの法律化のことだと思えばいいかな。

*べてるの家が幻聴さんも含めてSSTをやっていることを思い起こすと、「関係還元的」とはべてるの家で言うところの「外在化」と同じことではないか。これは現実において登場人物が当事者以外にいて、なにか起こりうるということ、物語の展開可能性があるということではないか。

*p.48の引用にあるように、暴力を暴力だと言い当てるのは、被害者が安全を確保するためであるのなら、それはまず声が小さいひとが「イシュー化できる」というところにポイントがある。暴力がどんなものだったのか、なにが起きたのか、その判断は歴史解釈の実践としてそのあとに必要なことになる(被害者が暴力だと言い当てた瞬間に全部責任が問われて断罪されるわけではない)。問題が起きています、と、誰も振り返らない過去の一点について、解釈すべきことがありますよと呼びかけること。

愛情共同体という言葉は他の人も使っている表現か。愛情とはどういう意味か。愛情という言葉が、自分で選べる個人主義のひとと自分で選べない立場の人とで意味が真逆だと思う。自由な意思を意味するか、意思よりも強い結びつきを意味するか。だから妻は被害者になりにくいのではないか。映画『ドマーニ』でも、DV夫が妻に「お前のことを愛している」と言うとき、夫は一緒にいることを積極的に選んでいるというアピールになるが、妻にとっては一緒にいる以外のことを選んではいけないということになる。

1990アメリカの性被害の過誤記憶論争と、フランスで言われた被植民地の記憶の過剰さの論争を同質のものとして考えていいか。

*スキルと呼ばない、不器用な「技」という言葉は、一般にはびこる能力主義とはどのように違う概念か。

どうやって加害者に、軽視していることの深刻さを自覚させられるのか。

*被害者側の非、バトラーの話と同質だと考えていいのか。

どうして被害者側の非を考えたくなるのか。暴力を受け入れたくないのか、加害者になるかもしれないから保身したいのか。被害者に自分を当てはめてどう防げたか考えたいのか。実際は加害者が100パーセント悪い。何が起きたか解釈するのは被害者しかやっちゃだめ。(被害者ケアのなかに罪悪感を和らげることも指摘されている。)

*暴力が起きたと判明したとき、その瞬間に被害者は存在するけど、加害者は存在するのだろうか。責任の範囲を丁寧に検討するべきだということを考えると、加害者という言葉が誰かに全ての責任を課して袋叩きにしたり、そうやって判断を下して解決したことにしてしまう負のインパクトがあるのではないか。「加害関与者」とか「暴力当事者」とかいった言葉で、加害者ではあるけどディスクリプションを尽くして反省点を検討している途中のステータスなんだということを示せないだろうか。同時に、その検討の時間を十分に避けるのか、私たちは待てるのか(兵庫県の斉藤県知事の件)。またその検討を中立的に担うことができるのは誰なのだろうか。その人にみんなを待たせるほどの権力があるだろうか。

*加害者が罰や治療が必要なことはないのか。

*カナダ、アメリカ、韓国では、DVが定義されているとのことだが、どのように定義されることで非親告罪になるのか。

どうして日本では非親告罪にならないのか。どんな政治家がこれについて動いているのか。

*現場での調整役、とあるが、カウンセリングに来るひとを待つかたちから、学校に駐在するようになることでどんな変化がもたらされたのか。

*形式的コミュニケーションは、対話型鑑賞のルールと通じるか?心理的安心の確保を信頼感とかではなく形式で目指す。司法もそうだよね、合意書などは逸脱を禁じる。形式的コミュニケーションが可能にする精神や思考の自由があるのではないか。

*カウンセリングのスキルは、ライティング指導や探究学習の指導のスキルと似ているのではないか。断片的な語りの奥にある思考の一貫性や傾向や土台のようなものを聞き取り、投げかける作業。

*想起とフラッシュバックは違う。ダルク女性ハウスの、過去の出来事を説明するときに仲間と手を繋いで、線を引いて向こう側に当時の場面を見ようとすることを思い出した。外在化と比較検討としての演劇のありかたが自分の着想源かもしれない。つまり関心を寄せている「演劇」とは、すでに没入していることについて語りを引き出すための外在化の装置なのではないか。

*相互作用についてもう少し知りたい。「先述したように、この言葉は相互作用を前提としている」(p.199)とあるが「先述」はなさそう…。p.200のほうに、もう一度この言葉が出てくる。「環境との相互作用による子どもの発達という視点から虐待の影響を考える場合には、もっと重層的な環境要因を丁寧に論じ…」(p.200)

*p.200 カナダで活用されているプログラムの翻訳を再検討したい。https://www.calgarywomensshelter.com/images/pdf/cwesResistancebookletfinalweb.pdf

「社会」という加害者を想定するしかないような被害もあるかもしれない。学歴社会という価値観などの社会規範を強く内面化して自分を傷つけるくらい頑張ってしまうとか。

*意志のあるレジスタンスだけでなく、トラウマ症状といった意図的でないものもレジスタンスだと捉えるのはなぜか。信田がとらえようとしているレジスタンスとは、被害の事実を証しする色々な表出・表現を指している。トラウマ症状は、なにかしら深い傷を受ける出来事があったのだという揺るがない事実を示しているから、加害者へのレジスタンスだと言える。



「卑屈の倫理学」の視点から、この本で得た大きなテーマを挙げてみる。

・家制度、結婚と権力。洗脳。語らせない仕組み。

・「暴力」とイシュー化、想起と語り、歴史解釈までのタイムスパン

・加害者ケアとは。加害者の語り。

・回復の技、力。被害者の語り。

・語らせない空間づくり、語れる空間づくり。部屋、壁、町のレベルまで。

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