「舌切り雀」再読
- 朝田沖陽 / Asada Okiyo
- 2023年7月17日
- 読了時間: 4分
『舌切り雀』という昔話がある。おじいさんとおばあさんがいて、おじいさんの方が雀を飼っている。とても可愛がっていたのだが、ある日、雀は、洗濯のための糊をのこらず舐めたせいでおばあさんを怒らせてしまう。おじいさんは外出中で、守ってくれるひともなく、雀は舌を切られ、追い出される。帰宅したおじいさんは大慌てで探しに行くと、その雀の屋敷まで辿り着き、おもてなしをうける。
この物語が教訓話らしいのは、この後半部分で雀がおじいさんにお土産を渡そうとするところからだ。小さい箱と大きい箱のどちらがいいか尋ねられ、おじいさんは小さい方を選ぶ。帰ってきて開けてみると、その箱のなかには高価な財宝が入っていた。話を聞くや否や、おばあさんは悔しがり、わざわざ大きい方をもらうために自らが出かけていって雀の屋敷を訪れる。そして、当然多くの方がご存知のように、大きな箱のほうをもらって帰ってくる途中で、箱の中に入っていた妖怪や害虫たちに驚かされ、腰を抜かしてしまうのである。
おじいさんは優しいひとで、弱くて小さい雀を、まるで我が子のように可愛がっている。楠山正雄のテクストを参照すれば、おばあさんがいるからと言って外泊せずに帰ってくるし、多くの絵本では垂れ目で顔色も明るい。善人らしい善人である。それがおばあさんとの対比で一層強調されている。
おばあさんは、雀を可愛がる心もなく、怒りっぽいうえに強欲である。雀を追い出したのは自分なのに、財宝が手に入るとわかると図々しくもらいに行くなんて自己中心的で都合が良すぎるし、「もっと大きい箱を貰えばもっといっぱい財宝がもらえたのに」という短絡的な発想は、実に愚かだ。
おばあさんは、雀のことが嫌いだったのだろうか。ある絵本を読むと、おじいさんが初めて雀を連れて帰ってきたときの場面が描かれる。雀を撫でて可愛がるおじいさんを見て、おばあさんは「ふん」と言って気に入らない顔をする。おじいさんの顔は溶けるようにほころんでいて、その雀の溺愛ぶりは、我が子のようでもあり、我が恋人のようでもある。ちなみに、二人の間に子どもはいない。おばあさんは、可愛がる対象をみつけたおじいさんと、その可愛い雀の関係に、嫉妬しているのかもしれない。自分よりも可愛い雀、自分よりもその雀に気を配るおじいさん、どちらもおばあさんの居場所を脅かす存在である。おばあさんは浮気されているのだ。
夫を雀に寝取られるおばあさんなんて、昼ドラだとしても三流だろう。でも『舌切り雀』はもっと複雑で切ない。なぜならおじいさんはとても善い人で、おばあさんのことを嫌ってなんかいないからだ。夫婦関係が悪いわけではないのである。この浮気物語は、おばあさんの(わたしの)被害妄想にすぎない。
いや、妄想ではない。夫婦関係が悪いわけではないと書いたが、悪いという認識にも至らないくらい、夫婦関係が問われていないのだ。おじいさんとおばあさんがお互い向かい合って会話をする場面は一切ない。なにかの作業を一緒にやるということもない。
この状況を踏まえると、善良に思えたおじいさんと、強欲に思えたおばあさんも見え方が変わってくる。おじいさんは鈍感で無関心、そしておばあさんはそのことに苛立ちつつも、その苛立ちの伝え方がわからないでいる。おばあさんの強欲さを批判的に見てはいけない。だっておばあさんが強欲に見えるのは、おじいさんがなぜか満ち足りてしまっているからなのだから。この物語から学ぶべきは、おばあさんのように強欲になってはいけないということではなく、なぜ共同生活をしているはずの二人の幸福度がこんなにも違うのかと問うことであり、さらに踏み込めば、なぜおじいさんだけ幸せでいられるのかということなのだ。
お土産物の箱を選ぶとき、おじいさんは自分の老いを理由に小さいほうを選ぶが、これはおじいさんが自分の体の調子をよくわかっているということである。自分の体に適した荷物を判断することができる。自己の身体像を適切に思い描くことができている。一方おばあさんはどうか。欲望が先立って、自分の体では運べないような大きなものさえ無理してもらってしまう。弱々しい老婆が重くて大きな箱を、意地だけを支えに運んでいる様子を想像すると、不憫で仕方がない。おばあさんの生理が適切に働いていないことは雀に向けた怒りにも読み取れる。雀は小さい。その舌はさらに小さいだろう。「雀の涙」という慣用句があるくらいだ。おばあさんは、大きすぎる箱にこだわる一方で、小さすぎる舌を切り落とすことにこだわる。そういうアンバランスな衝動を体内に抱えている。
おばあさんにとって、雀はおじいさんの代わりなのだ。おじいさんには伝えられない様々な苛立ちや戸惑い、傷ついた気持ちや爆発しそうな怒りを、おじいさんが可愛がっている雀の、その小さくて柔らかい舌を切り落とすことで表現している。わたしはこのおばあさんに共感する。おじいさんがむかつく。どういうことか。ここに卑屈の倫理学が始まる。
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